ごみ捨て場

ぼんやりとした風景

近頃、遠目に見えるおびただしい人達の顔が見えなくなってきた。 彼らの表情や年齢、性別、服装の目に見える情報にとどまらず誰かと交わしている会話の内容も耳に入ってこない。 歩けど歩けど誰の存在も確認できない私は誰との相互干渉を持たないホログラムの気分で、汚濁の渦の中心へ日々人生の記憶を投げ捨てている、 その思考は輪郭を失くすべく破滅へと一歩ずつ確実に近づいているようで、以前外を歩けば無意識に自分の中に取り込まれていた人々の情報量はもはやゼロだ。 この状態で見つめる外の光景は日常での終着点、逃れようのない結末をまざまざと見せつけて、 それに投影された浅く巡る思考は現実にもやをかけ目の前の小さな素晴らしさを消し去っていく。 ちょうど、前は綺麗に見えたんだろうな、前は深く考えられたんだろうな、 と気持ちの悪い懐古に身を投じることで目の前の存在を思考の外へ追いやっては、結局自らの世界を毀損するのだ。 現実感の喪失は加速を続けている。 間違いなく存在するはずの数え切れない人々を生身の生きた人間と認識することを諦めて、 私の鏡に映して見るかのように、彼らもまた空虚な存在として認識しようとする。 そして自らの鏡に映る私もそんな存在の一つなんだろうなと、 ぼんやりとしたくだらない想像に時間を使っているうちにまた一つ感性を失っていくのだろう。