ごみ捨て場

深く零した鮮やかさ(未完)
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これまでの人生を振り返れば、誰もが特殊な経験を持つ。

そこに例外はない。一様に偏執さ・絶望感・危うげな懐古感を抱えた現実の中、ただ存在している。

24年前の夏、僕は四国の田舎で生まれた。 坂道が多い地域、街と海を臨むことができる坂の上に僕たちの住む家があった。 家族構成は父・母・姉・僕の4人とダックスフンドのはなちゃん。すこし離れて父方の祖父母も住んでいた。 そこまで裕福ではないものの一般的な一軒家に住むことができ、たまの外食もする、そんな典型的な田舎の中流家庭だった。 しかも当時は今ほど近所付き合いが薄れていなかったので、隣人に面倒を見てもらった記憶すらある。 ───姉の七五三、地元の小さな祭りではしゃぐ僕、何かの記念日なのか笑顔の父母。 四国に住んでいたのは4, 5歳のときだから、記憶はさほど残っていない。 しかし少なくとも実家に残された家族アルバムには幸せな家族が写っていた。

わずかな記憶は巡る。 丘の上から見た綺麗な街の風景、一軒家で姉が走り回っているところ、 台風での停電で父と近くのスーパーまで蝋燭を買いに行ったこと、 父が酒に酔って母を殴る場面、母がスナックで働いていた場面、 ダックスフンドのはなちゃんがライターで燃やされるところ、 父方の祖父母の家で見た満月... 現在から振り返っても5歳頃の記憶は明らかに欠落している。 それが年齢によるものか、自分の防御的反応によるものかどうかはわからないが、 残された記憶を見るに自身の思考や人格形成に重大な影響を与えたことは間違いないだろう。

──愛知県南部、5歳が終わろうとしていた僕は母、姉とともに母方の祖父母宅にいた。 38歳の母親は小さな建設会社で清掃の仕事を初めて僕は保育園には行かずその事務所で多くの時間を過ごした。 その会社は今からすれば相当に牧歌的な雰囲気で、暇を持て余していた僕は実にこどもらしい生活を送っていた。 朝から祖母から与えられた虫や動物の図鑑を読み漁ったり、昼になれば同じく他従業員が連れてきた同年代のこどもとかけっこをして... 僕の年齢を5倍にしても届かないような社員との交流もあった。 特にヒゲの生えた恰幅の良い30代半ばぐらいの社員、気の良いヒゲおじさんだ。 タバコが大好きでとてもヤニくさいヒゲおじさんだが、ときどき休憩時間に自らの車に乗せて色々な場所へ連れて行ってくれた。 「母ちゃんには言うなよ!」とオレンジ味アイスとバニラアイスのダブルを混ぜて食べるという個性的な方法を実践することを条件に31アイスクリームを奢ってくれたのだ。 当時の僕はそんな高級なものは滅多に食べられなかったので、おじさんに精一杯のお礼と嬉しさを表現して見せてあげた。 すると少しばかりの困惑と笑顔をお返しされ、無言で頭をぽん、と撫でられたのだった。 それに正月休み明けなどには建設会社の社長が僕にお年玉をくれた。今の時代では一従業員のこどもにお年玉をあげるなど考えられないだろう。 とはいえ、その贈り物は母に回収されてしまったのだが。

6歳も終わる頃、僕はしょっちゅう怪我をしていた。 最初は祖父母宅に引っ越ししてしばらく経った頃、祖母と森の中にあるアスレチック場に行ったときの話だ。 颯爽と生い茂る樹木の中、木製の大型遊具が転々と配置されているような場所である。 見る分にはいいのだが、僕は昔から運動ができない。 成長してからの健康診断では「股関節に異常あり。病院行きなさい」と伝えられ、高校修学旅行のスキー時には担当のインストラクターに「あんた、骨盤歪んでるね」と言い放たれるほどに。 当然の結果として、アスレチック場での遊びなどできるはずもなく何かの遊具から落ちて血だらけになった僕に必死に謝る祖母の姿が残った。 そして2つ目にヒゲおじさんとのことだ。 いつものように僕を肩車しタバコを吸っていた彼だったが、僕がふざけて暴れてしまったので右手首に火種が落ちた。 痛がる僕を見て彼は大急ぎで洗面所に走って患部に冷水をかけたが、結局その痕は成人するまで残り続けることになった。 仕事終わりの夕暮れに激怒する母と頭を下げるヒゲおじさん、それ以降彼と顔を合わせた記憶はない。 当時、どちらの大人に対しても幼きながら申し訳なさ・気まずさを覚えた。 その要因は自らの行動が引き起こした結果そのものではなく、僕という存在に向けられた善意を台無しにしてしまったもったいなさなんだと、今になって理解している。 こういった経験を繰り返し、どちらかというと内向的なこどもになっていった。 同年代の子とも外では遊ばなくなって、ただひたすら家の古いゲーム機で遊ぶか、図鑑を読むか、7歳年上の姉が溜め込んでいる漫画を読むか... この時点で完璧なインドア人間となっていた。

僕は7歳になった。 環境は変わって、住居が祖父母の一軒家から数十km離れた築60年はあろうかというボロボロの木造アパート(壁はトタン製!)、 家族が母・姉・僕の三人、何より僕にとっては初の集団生活である小学校が始まろうとしていた。 4月、母に連れられて出席した入学式。 今でもそうだが、僕は人の多い場所が嫌いだ。それが渋谷の路上なら行く道を変えるか、さっさと速歩きしてしまえばいいが、入学式でそうはいかない。